スタレビと三谷さんのこと その1

これはとても個人的な記録です。
木工の話も工房の話も出てきません。

でも書かないと先に進めない気がして、こうして書きとめて。工房ブログの隅っこに置いておけたらな、と思っています。

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私は現在、esq三谷さんのライブに再度行き始めて2回目、という新参者です。

いるかどうかも分からないし、その方の目に留まるかどうかも分からない。
でも、同じようにライブから離れ、戻ろうかどうしようかと迷っている方が読んでくれて、今後の小さな足がかりになったら嬉しいです。

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【はじまり(昔の話)】

初めてスターダスト☆レビュー(スタレビ)のライブに連れて行ってくれたのは、高校の友人だった。
その頃はボーカルの根本要氏が、ライブの度に「次は両手にお友達をつれて来てください」とよく言っていて、友人は私を誘ってくれたのだった。

ボーカルの、と書いたけどその頃のスタレビは「全員が歌う」というスタンス。
例えばアルバム10曲のうち7曲は要さんがリードボーカル、2曲はキーボードの三谷泰弘さんがボーカル、残りのメンバー(パーカッションのvoh林さん・ベースの柿沼さん・ドラムの寺田さん)を足してあと1曲分くらい・・・という感じだった。

友人は、要さんとvoh林さんのファン。
私はライブに行って、キーボードの三谷さんのブレない音程と広い音域、派手なパフォーマンスに惚れてファンになった。

作曲はメンバー皆が行い、アレンジは三谷さんの担当。
ここぞという時に入るハモリも存在感があって、大好きだった。

CDが出るたびに買い、すり切れるほど聴いた。

友人と何度もライブに通った。

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そして、1994年のツアーを最後に三谷さんはスタレビを脱退。
横浜アリーナで幕が下りて明るくなった後に、たしか観客みんなで三本締めをして、立ち去りがたいなあと思ったのを覚えている。

今その頃のアルバムを聴いていても、「誰がどこまで表現するのか」というせめぎあいが感じられて、脱退は致し方なかったのだろうと思う。
スタレビには要さんという稀有な声を持つ人がいて、メンバー全員の要求を叶えるのは難しい。
三谷さんはもっと、自分の力で自由に音楽を表現したいと思ったのではないだろうか。

致し方ない、と頭で分かっていても、実際に自分の中で消化するのはとても難しい。
今回ライブに復帰するまで時間がかかったのは、この件を完全には消化できてなかったからだと思っている。

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三谷さんの脱退後も何度か、スタレビのライブに行った。
でも、あの分厚いコーラスがない。
イントロのキーボードの音色がまったく違う。

そしてもう、弾きながら踊り狂う三谷さんが見られない。

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もちろん、「esq」としてソロ活動を始めた三谷泰弘さんのライブにも行った。
慣れた音色はそのままだったし、三谷さんの歌を充分に聞くことができた。

しかし、一人でライブの進行も歌もMCもやるというのは、大変なことだった。
当たり前だけど初回のMCは緊張に満ちたもので、一観客に過ぎない私でもハラハラした。
バンドメンバーのコーラスもスタレビとはまったく違い、ここでもまた旧スタレビを懐かしく思ってしまった。

冷静に考えると、要さんのMC力の方がおかしいのだと思う(笑)
話し始めたら10分以上しゃべっていられる、MC始まると客がやれやれと座って休憩始めるなんて、歌い手としてはなかなかレアなはず。

でも、高いエンターテイメント性を誇るスタレビライブに慣れていた私は、会場に漂う緊張感をつらく感じ、そして徐々にライブには足を運ばなくなってしまった。

(つづく)

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